次女が一歳の頃、母は急性白血病になった、、、
病気ばかりで今度はもう余命1ヶ月だって、、情けないよ、、と母は電話で泣いていた
私は幼い娘2人を連れて母が亡くなるまで一緒にいよう!と決めて直ぐに東京から福岡の実家へ
毎日子供達の面倒や掃除洗濯食事とあっという間に過ぎて行った
沢山心配かけたり迷惑かけてきたから
少しでも親孝行する時を作れたことは良かったと思う
ぽっちゃりしていた母は
食が細くなってガリガリになっていたのに
美味しい美味しいと喜んで食べてくれて
おかわりまでしてもらえたり
元気になっているようで嬉しかった
余命1ヶ月と言われてからもう1ヶ月だよ!
きっと良くなる!大丈夫!
と思ったり、、、
娘の髪を編み込みしたり
孫と過ごす嬉しそうな母を見て
来てよかったと思った
死への恐怖
日々弱っていく身体
高熱が出たりして不安そうな母
そんな時に今ならもっと何かしてあげられたんじゃないか、、と思うけれど
その時は側にいて見守るのが精一杯だった
そして余命1ヶ月と言われてから2ヶ月過ぎるころに次女が感染症になり東京に戻って治療しないとだし、長くなって旦那も1人での生活は大変だろうし帰ることに
大丈夫だろうか、、
と心配だった
また絶対生きているうちに会いたいと思いながら東京へ戻る日
母は涙を流し、またね、、と別れた
それから東京に戻り心配しながらも
子育てに追われる日々
余命1ヶ月と言われてから5ヶ月目
少しの希望にかけて母は抗癌剤治療をして
隔離された病室で頑張っていたけど
肺に菌が入りもう明日まで持つかどうか、、と夜中に父から連絡
慌てて夜中に荷物をまとめ飛行機の予約
子供達と翌朝福岡へと急いだ
母が親兄弟より仲良くしていて私も小さい頃からお世話になっていた方へ連絡してその方と一緒に向かった
私は幼い2人を連れて行くのにその方のお陰でとてもとても助かった
病室に行き
その方と一緒に来たと苦しそうに寝ている母に伝えたら
目も開けられない息も苦しい状態の母が
意識を戻ししゃべった!
大丈夫だから、みんなで夜ご飯を食べに行きなさい
ありがとう
と、、、
翌日、目を覚さない
夕方もまだ寝ている
嫌な予感、、、
やはり夜中に急変し
姉もまだ幼い子供達を連れて来ていたので
4人の幼い子供達を見ててもらい
私と姉と父は病室で一晩中母の側で過ごした
朝になり
ピーーー、、、と心臓が停止する音
ありがとう!!と叫ぶと
少し戻り
ピッピッ、ピッ、、ピッーーー、、、
母の目から涙が流れた
耳は聞こえていたと思う
ありがとうを伝えられて良かった
でも、今まで生きてきて
こんなにも悔しくて悲しいことは無かった
泣き崩れ過呼吸で動けず
母の横でしばらく倒れて寝ていた😂
母に斜め上から
あんたはまだしっかりしないとダメよ!
と言われたようだった
ちょっと暗い話になってしまいましたが
死は誰にでもやってくる
どんな風に死を迎えたいか?
そのために今どう生きるのか?
どう在りたいのか
母との別れにより
大切なものを感じ
意識や生き方が変わった
大切な人との繋がり
代わりのない自分の身体のケア
それが自分のためであり
人のためになる
と言うことを今は実感している
母との別れから2年ほど経ち
落ち着いた頃に友人とヨガを受けることに
なんとなく無理なく体を動かせると良いなぁくらいでリラックスヨガを受けてみた
体はガチガチで辛かったけど、心が明るく晴れた感覚で嬉しかった
うん!なんか良い!
と通い始めることに
そしてこんなに良いものはみんなに教えてあげたい!と思った
そこから私の中でヨガが大きくなり
どんどん動き出すことに
長くなったのでこの先は次回へ
ちなみに今回の写真の牡丹は母を思い出す花で以前我が家で毎年綺麗に咲いていました。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊🙏💗✨
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